簡潔さを旨として
2007-03-20
この議論の小難しさは,意図的に?
ベンチャー経営は大きすぎるリスクを負い始めた–ライブドア事件が示したもの – CNET Japan:
もし止められなかった、あるいは指摘できなかったとする場合、そのプロフェッショナルとしての判断はどこに求められるべきで、そしてそれでも過失が生じてしまった場合、どのような責任を問われることになるのだろうか。これを企業の「外部に対するシステム・リスク」と言っておこう。
責任の所在をどこに求めようとしているのかがよく分からない。
過失が生じてしまった場合、どのような責任を問われることになるのだろうか。
これは監査人の責任の話しのよう。
一方で,
これを企業の「外部に対するシステム・リスク」と言っておこう。
と述べられているように,「これ」が企業のリスクを言うのであれば,これを防止(あるいは低減)させる責任は企業にありそう。
「外部に対するシステム・リスク」というのが,監査人が「過失」を「止められなかった、あるいは指摘できなかった」ことを指すのであれば,
それ責任は,あくまで監査人にある。
監査論ぽく言うなら,
監査人が,財務諸表の重要な虚偽の表示を看過して誤った意見を形成する可能性を監査リスクという。
(監査基準委員会報告書第28号第6項,日本公認会計士協会,平成18年3月30日最終改正)
そして,この監査リスクに対する監査人の責任は
自己の意見を形成するに足る合理的な基礎を得るために,十分かつ適切な監査証拠を入手するよう監査手続を立案し実施することにより,監査リスクを合理的に低い水準に抑える
(同項)
ことにある。
コラムに述べられている
「もし止められなかった場合のプロフェッショナルとしての判断」は,
利用者の判断を誤らせる情報(監査では「重要な虚偽」という)が監査対象に含まれていることを,監査人が表明することである。
「あるいは指摘できなかった場合のプロフェッショナルとしての判断」は,
監査リスクを合理的に低い水準に抑えるように監査を実施し,意見を表明していた,ということを言明することであり,
もしくは,それができない場合において,監査の失敗という結果責任を負うことである。
堀江被告に対して下された判決と量刑の軽重については,
法律の専門家ではないので,何を述べるでもないし,
ライブドアと堀江氏に対してなされた一連の処分が,
今後のベンチャー経営にどのような影響を及ぼすのかを「論じること」には,
興味がない。
だけれども,
ライブドアと堀江氏に起こったことを「ベンチャー経営」に一般論化するのは,どうかと思う。
どうかと思うというよりも,間違っていると思う。
だいたいにおいて,
評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」 堀江貴文氏への判決に思うこと:
私も含めて大衆の心はもう堀江とライブドアの一連の事件に飽きているのに(率直に言って、私はライブドア事件に飽きた。心の奥底では、もっと新しい刺激が欲しいと思っている。皆さんも、一緒でしょう?)
というのが(新しい刺激を欲しているかどうかは別にして)自分自身の本音であると首肯せざるをえないところだし。
内部統制システムそのもの,あるいは監査制度(=システム)そのものに内在するリスクの存在を認めるとしても,
企業経営のリスクだか,企業監査のリスクだかを,
「内部の」「外部の」と一見分かりやすく対比してみせておいて,その実,
何を語るでもないというのは,解せない。
あるいは,
形式的にリスクを低減するために、過剰なくらいの仕組みの導入を促し、結果的にがんじがらめに縛り、そのリスクの吹き出し先を経営者に特定させることで、問題を解決したことにしてしまうのは、いかがなことか。
という,いわゆる「J-SOX法」批判を導くための枕詞ということか。
それにしても
論旨と指示語が明確でなくて,小難しいばかり。
Entry Filed under: ビジネス. .


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